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2004年5月13日

「塩」イクォール「清め」

今現在、葬儀に参列した際には「清めの塩」を頂く。
そして塩を「清める」ために自分に振り掛けるはずである。

では何故清めるのか?

「死」イクォール「穢れ」というように考えるためである。本来仏教においてこのような考え方は無い。故に葬儀で「清める」ために塩を使うのはありえない。
その起源は神道にある。
神道では死を穢れと考えているのだが、日本の歴史の神仏習合の流れにおいていつの間にか取り込まれ、明治維新直後に神仏分離令が発せられたのだが今現在も残っているのである。
葬儀の際の「清めの塩」は本来の筋においてはおかしいのだが、今では習慣として根付いてしまっている。ただそれは「死」イクォール「穢れ」の考え方よりは、「塩」イクォール「清め」という考え方が根付いているのであろう。

「塩」イクォール「清め」

「清める」ためには「塩」を用いるのである。

つまり、今朝わしが台所に「塩」をぶちまけてしまったのは、決して歯を磨いた後のコップを置く場所を間違えて塩の入った入れ物を落としてしまったからではなく、より一層台所を清めたいと心から願っただけなのである。

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