2004年6月アーカイブ
2004年6月30日
塩、サラリーマン
ちょっとメモ。
サラリーマンの語源は、紀元前のローマ人が使用していたラテン語、
サル[sal](塩)で支払われる人、
になるそうな。
当時のローマではあまり貨幣が普及しておらず、支払いはオスティア産の塩で代える場合が多かったそうですよ。
あの偉大なローマ帝国にも、そんな時代があったとはそれこそ吃驚ですな。
2004年6月28日
京極堂シリーズ映画化、「姑獲鳥の夏(うぶめのなつ)」
今書いてるようではだめですか?(現在20:49)
concept00さんに「鉄鼠の檻」を薦められて以来、駆け抜けるようにして読破してしまった京極堂シリーズ。
そのシリーズの一作目の映画化。嬉しいと思う反面、不安も感じる。
わしの中では、原作ありきの映画化はどう足掻いても原作には及ばない、と思っている。特に京極堂シリーズは気に入ってる作品だけに、己の中の共感、恐れ、憧憬などが渦巻いたイメージが強く焼きついている。
果たしてそれを打破してくれるような映画に仕上がってくれるか?それを期待していいのか?
とか言いつつも、とても楽しみには違いない。
何だかんだ言っても観ると思う。
だって原田知世さんも出るしね。
2004年6月25日
2004年6月24日
台湾茶 烏龍茶、有名、でもね
今週の「ガイアの夜明け」で茶葉に賭けた男たち~お茶戦争の舞台裏~をやっていた。
その中で中国茶の世界では超有名なおじさんが出てきて、いろいろと喋っていましたが、実際に彼のお店で教わる烏龍茶の淹れ方では、
・・・旨くないです・・・
偉そうになんやかやと喋っていること全てが、胡散臭く聞こえてしまうくらいに旨くない淹れ方ですね。
サントリーの烏龍茶で、日本では間違った認知され、それにのっかるかたちでまた、胡散臭い商売人によって間違った理解を広められてしまった事実はとても悲しいですね。
わしは実際に、彼のお店の淹れ方で試しましたよ。残念ながら折角の風味、旨味を殺してしまう淹れ方です。
烏龍茶が世に知れ渡るのは嬉しいことですが、今現在、間違ったものしか有名にならないのは本当に悲しいことです。
烏龍茶に限らず有名なものには、本物も少ないのではないのか、と日々疑問に思ってしまう。
わし以外にもジャンルは違えど、こんな悲しい思いをしている人がいるんじゃないかしら?
わし?わしは頑張りますよ、本物の烏龍茶を知ってもらうためにね。
声かけてくれれば、いつでも実際に淹れますよ。
2004年6月23日
嫌いはたくさん
なんとなしに昨日の続きをば。
やっぱり人間、嫌いなものを表現するのは大好きのようです。
なんてものまでできてしまうのですからね。
「世の中に敬語があふれすぎている」「話し言葉が丁寧になり過ぎた」
「「現代敬語辞典」「敬語用法辞典」なども出版している。その正反対の罵倒語の辞典を作ってこそ「言葉は完結する」」
と著者は宣おうております。
この本、実際に手にとって買おうとしたわしがいるというのは内緒の方向で。
2004年6月22日
表現、気づくもの、こころ
人は自分が嫌いなものを表現するときが、一番表現が多彩である。
嫌いなものほど心をとらえてやまないのではないか?
嫌いなものにこそ心が呪縛されているのではないか?
人は本当に好きなものには気がつかないときがあるのに、嫌いなものに関しては常に知っている。
人は嫌いなものに支配されているのではないか?
わしはメロンが嫌いだ。どのくらい嫌いかを表現するなら、
「メロンと名のつくもので存在していいものはメロンパンのみ」
である。
わしのこの表現もどうかと思うが、嫌いな生クリームを、
「あのモーっとした感じがやなんですよ」
と言われたのは生まれて初めてであった。
嫌いなものがあるということは、表現の宝箱を得たのと同じなのだろうか?
2004年6月21日
現状復帰しました
いや~吃驚しました。
ちょっとデータのやりとりをしていたら、相手に全てを消されてしまいました。
hiru-an-don2004年3月以前はすっぱりなくなりました。
ということで、過去の暗黒時代を消しての再出発ということで。
2004年6月14日
台湾茶 頭等、手間、よいもの
土曜は師匠の家にお邪魔した。
今回はコンクールで頭等賞(1等賞と同じ意味)をとった文山包種茶を頂きました。リンク先は師匠のところ。
今回呑んだものはこれよりももっと旨いです。
文山包種茶として一般市場に出荷する最高レベルの完成品から、茶葉の大きさ、茶葉の発酵度を均一化するために選別したものをコンクールに出品したそうです。
その選別基準は当然の如く名人の茶師しかわからず、烏龍茶に20余年係っている師匠ですら、茶葉の発酵度合いの見極めはできないそうです。
名茶師が手間隙をかけ仕上げ、師匠のお手前で頂く文山包種茶は、格別です。
早くよいものを淹れるに相応しい技を身につけたいと思った。
2004年6月11日
もどかしさ、睡眠不足、寒気
今もって熱は下がってはいないが、強烈凶悪な寒気は解消された。
あれ程までに寒気を感じたのは人生初めて。指先までが震えて感覚が薄れ、味覚までもおかしくなっていた。
たかが寒気と侮るなかれ、経験のないことなので、他の病気、症状よりも言いようのない不安に駆られてしまった。
皆様も気をつけてくだされ。
どうも睡眠不足からきたもののようですが、その原因は夜中の友からの一本の電話。
状況は多少違えど、わしがその友に言う言葉は何年も前から変わっていない。
長い電話をきった後に感じるのは、もどかしさ、せつなさ。
わしの言ったものは、友にとって何にもならなかった。だから感じたもどかしさ、せつなさ。
が、その後に感じたことがある。
自分は傲慢である、と。
自分のことですら、ままならないやつが言ったものなど、所詮、なにものでもない。
なにかを成しえた人の言葉だからこそ、人は、その言葉に感じることがある。
まだまだ、わしが言うことなど言葉には成りえない。
わしは死ぬまでに、言葉を語れるようになるのであろうか?
ぐるぐる、ぐるぐる…
ふと頭を上げると空は明るくなってきていた。
そんな脳みそを使うなどという慣れない行為をするから知恵熱がでたのか?
2004年6月 3日
台湾茶 満月、茶、ほぅっ
月明かりで目を覚ます。
寝てから僅かな時間しか経っていないが、すぐには寝れそうにないので烏龍茶を淹れることに。
澄んだ月光とやわらかい烏龍茶の香り。
四半時ほど胡坐で堪能。
月見酒もいいかもしれないが、月見烏龍もなかなかオツなもの。
こんな夜の過ごしかたもいいもんですな。
2004年6月 2日
信頼、裏切り
三菱自動車がリコールを大量放出。
先日三菱を退社した友人から「リコールはまだ隠してる」、と話は聞いていたがここまで出てくるとは思わなかった。
わし自身もこの業界にいたので、現場におけるリコール後の対応というものがどんなに大変なものかは知っているつもりだ。
それはさておき、今回の騒動で一番腹が立つのが「三菱自動車」が「信頼」を裏切ったことである。
わしが言う「信頼」は世間一般の「三菱自動車」に対する「信頼」ではなく、
現場が一人の人間として顧客と築き上げてきた「信頼」を裏切る結果になってしまったことに対してである。
「どうしても三菱のこの車が欲しい!」という人もいるのだが、多くの人は購入の際、クルマという商品に対して値踏みするのは当然としても、売る側の人間に対しても値踏みをし、納得し、信頼し購入するものである。
今回の騒動で三菱自動車は、そういった多くの現場の努力により築き得た多くの「信頼」を裏切ってしまった。
民なくして国がないように、顧客、社員なくして企業はありえない。
それと同様に、顧客、社員との「信頼」なくして企業はありえない。
そんな当たり前のことを見失ってしまった企業は亡んで当然である。
2004年6月 1日
ひらがな、漢字、文字
わしは文字が好きである。
「言葉」になったものはもちろん、ひらがな、漢字などの「文字」そのもの好きなのである。
ひらがなのやわらかい曲線に、漢字の撥ねに、はらいに、とめに「美」を感じているのです。
先日、人生の先輩方の達筆を数多く拝見する機会があったのですが、
「美しい」と感じました。
「言葉」を用いることには心を砕いているつもりだが、
「文字」そのものにも用いることにも心を砕かねばいかんですな。
ひとつひとつが時を経て、情報がデザインされた結果のものだと思うと、もっと大事にしなきゃいけないですな。
久方ぶりに、「筆にて一筆」書したい気分です。