2004年5月アーカイブ
2004年5月31日
愛別離苦
過去激しく後悔したことがある。
「何故、この人に逢うために、もっと早くに生を受けることができなかったのか」
残念ながら、その相手は女性ではなく、お茶目な元上司。
部下の時代も今も、わしがまったくもって頭が上がらない数少ない人。
切れ者ではあるが、おしゃべりが好きで、おしゃれで、甘いものが好きで、珈琲が好きで、でもすっぱいものは大嫌い。
仕事にしても遊びにしても、極めていた。この人のように歳を重ねていけたらいいなと思う人。尊敬し憧憬する人。
そう思える人に出会えたのは、とても重畳です。
そんな人が、自分の感情を抑えるために言葉をつまらす姿を初めて見た。
ほんの一瞬ではあったが、その一瞬がとても長く、とても切なかった。
2004年5月29日
百聞は一味見にしかず
やはり自ら足を運んで確認しなければならないものがある。
「味」。
風聞によるとなかなかのお店という話だったが、如何せん。
鳥肉自体の味がとても薄く感じられて、ちっとも旨くなかった。
あんなもんを旨そうに食っている輩の気がしれません。
そこでリベンジ神谷バー。
名物デンキブランを、ほっとする味の洋食で嗜む。
小洒落た店よりも、大衆食堂の雰囲気満点の神谷バーのが妙に落ち着く。
なんだかんだえらそうなこと言っても、所詮、庶民大衆なのか?
そして「DK」の謎を残したまま、神谷バーを後にした。
・神谷バー
2004年5月27日
2004年5月24日
鬼
「出来るんだけど常人なら出来ないこと - そいうことが平気で平然と出来る」
「人間が実行可能なのに中々出来ないことをする」
それが躊躇なく出来るのが鬼。
鬼とは人が成るものである。
そんな言葉という呪に囚われながらの帰宅も悪くないと思っている今日この頃。
2004年5月23日
眼鏡、渋谷、人ごみ、北朝鮮
先日朝起きると、とてもシュールな形になっていた眼鏡。
急遽新規に資金投入、救済措置が決定、先代と同じ渋谷の眼鏡屋で購入。
相変わらず眼鏡に対する情熱を感じ、親身な接客にご満悦である。このプロフェッショナルな姿勢、見習う点がとても多い。
帰宅途中、駅前でかなりの人だかりに遭遇。北朝鮮拉致被害者家族会の集会であった。
熱弁を振るう被害者家族を囲む、冷め切って気だるさ満点の報道陣がなかなか印象的でした。
同じプロでもこうも違うのかと思うと、先ほどの眼鏡屋でのよいこころもちが消えてしまった。
そう感じるとわしの中で、人だかりが「人ごみ」に変換されてしまった。
人をごみのように扱う金豚もいれば、自らごみのようになってしまう輩もいる。
彼の国とこの国、どちらでも一緒なのであろうか?
2004年5月20日
書き物、こだわり
気がつくとわしの会社の机の引き出しには、赤ペンが5本入っている。
赤ペンだけ、である。
全て書き味が違う。赤ペンいやボールペンの書き味にはものすごくこだわってしまう。最初の職場は書き物が多く、書き味がなめらかで、しっくりこないと仕事が捗らない。気分がノッテこないのである。
作家先生でもないのに偉そうなこと言うようだが、そうなのだから仕方が無い。
常に自分にあう書き味を求めて彷徨っているのである。
シャープペンに関しては、もう決まっているのである。中学生の時に購入した製図用の0.3ミリのモデルをずっと愛用している。既に3代目である。
ボールペンは今後も引き出し内で勢力を増大させ続けるであろう。
そんだけ文字を書く物にこだわるなら、そこから書き出されたものに関しても、もっとこだわりを持てと言われると困ってしまう。
それなりにこだわってはいるんですよ、表現が稚拙なだけで。
2004年5月19日
守るべきもの
「国家を守るのであって、国民を守るのではない」
とはうちの会社にいる元自衛隊員のお言葉。さらに、
「明文化はされてはないと思うけど、現場はそう思ってる」
「戦時下、作戦遂行に邪魔って判断されたらあっさり殺されるよ、気をつけな~」
ヴィヴァ!自衛隊!!
「民は生かさず殺さず」とは聞くが、殺しちゃだめじゃん。
「国防」とは「国」民のために防ぐのではなく、「国」家のために防ぐことだそうですよ。
じゃぁ「国家」って何さ?
2004年5月18日
こっそり、保護、反古
年金未納問題ばかりの政治ニュースの昨今にこっそり衆議院通過しようとしている。
何故ゆえ報道されないのか、甚だ疑問である。
「時代は繰り返される」というが悪循環ばかり繰り返されてしまうのか?
きっと「保護」と言う名の下にいろんなものが国家によって「反古」されていくような気がする。
国家は永遠に続かない。
そろそろ国家としての寿命が尽き始めたという前兆なのか?
・先見日記
・国民保護法案
・コンテンツ「健全化」法案衆議院通過
・コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律案
と一日遅れで記載してみる。
2004年5月17日
顔、見る、話す、?
今日は仕事でなかなかエキサイティングなメールが来た。
細かい内容は書けないが、
「おまえがでしゃばるとわしの仕事の足を引っ張ることになるんじゃ!」
きも~ち表現を変えてますが、実際に足を引っ張るとは書かれた。
会ったこともない大阪にいる同僚ですが、愉快です。
一度顔を合わすと対応が違ってくるとは思うのだが、早く大阪に出張する機会を得たい。
どう変わるか、とても楽しみである。
2004年5月15日
駅前、Number
また駅前で優雅にランチをしていた。
そこに大将と朝まで語り明かしたという常連くん参上、写真家の友人連れてね。
その友人の写真がなんとあのNumberの1ページ目に採用されたそうだ。
写真の持ち込み採用には2種類あって、一つは編集部にネガだけを渡して、編集部で選んで焼いてもらう採用方法。
もう一つは自分で選んで焼いたものを持ち込んだものを採用してもらう。
で、その友人は後者の方で採用になったようだ。そんなわけで昼からビールで祝杯をあげたそうな。
そんな喜びを表現するときに駅前食堂を使ってもらうとなんか嬉しい。
ほんとにここは食堂か?
なんかマスターの器量で成り立っているイギリスのPUBのような気がするのはわしの身贔屓か?
2004年5月14日
新宿、歌舞伎町、うつろい
ここ数年この決まった時期に、あるチケットを入手するために徹夜で並んでいる。
歌舞伎町のある一夜をずっと観るわけである。
卑猥で猥雑で混沌それでいて素直な街に感じる。
ま、そんなことはいいんですが、
やっぱり世の中は不景気なのでしょうかね?
客引きのお兄ちゃん達のやり方が前よりも強引になってるし、それにのってついていくおじさん達も確実に減っている。
そして何よりも人の移り変わりが速い。
並び始めた1,2年は客引きのお兄ちゃんも顔を覚えてる人が何人かいたが、最近は毎年違う顔である。
ずらずらと書いているが、いつものことである。
この街に座っているとなんか無性に哀しくなる瞬間がある。
それがどんなものなのか捉えることができないが、一年に一回くらいこんな事を感じながら座っているのもアリかと思う。
2004年5月13日
「塩」イクォール「清め」
今現在、葬儀に参列した際には「清めの塩」を頂く。
そして塩を「清める」ために自分に振り掛けるはずである。
では何故清めるのか?
「死」イクォール「穢れ」というように考えるためである。本来仏教においてこのような考え方は無い。故に葬儀で「清める」ために塩を使うのはありえない。
その起源は神道にある。
神道では死を穢れと考えているのだが、日本の歴史の神仏習合の流れにおいていつの間にか取り込まれ、明治維新直後に神仏分離令が発せられたのだが今現在も残っているのである。
葬儀の際の「清めの塩」は本来の筋においてはおかしいのだが、今では習慣として根付いてしまっている。ただそれは「死」イクォール「穢れ」の考え方よりは、「塩」イクォール「清め」という考え方が根付いているのであろう。
「塩」イクォール「清め」
「清める」ためには「塩」を用いるのである。
つまり、今朝わしが台所に「塩」をぶちまけてしまったのは、決して歯を磨いた後のコップを置く場所を間違えて塩の入った入れ物を落としてしまったからではなく、より一層台所を清めたいと心から願っただけなのである。
2004年5月12日
シナプス=死ナプス
どうも最近シナプスの調子がよくない。
ニューロンからニューロンへの情報伝達がうまくいかず脳内において情報の劣化が激しい。
故に自らの体外に排出される時点になると、劣悪極まりない言葉になっている。
自ら思考することを怠ると瞬く間にシナプスは死んでいく。
そんなわけで脳内に刺激を与えることが必要である。今日はこんな言葉を知った。
・演繹
2004年5月11日
未確認お菓子物体!?
どっかの誰かがこんなものを欲しいと言うから、思い出してしまった…
時を遡ること二十数年前…
TVから流れる幼稚園児にとって蠱惑的な調べ。
「♪みかくにんおかしぶったい~パップラドンカ~ルメ♪」
当時わしはこの曲に見送られながら幼稚園に出かけたものです。
知らないかな?パップラドンカルメ。
これを知らないと人生損するよって訳ではないですが、思い出したついでいろいろ疑問もでてきたので検索した結果、またもや胸のつかえが取れました。
みなさんの幼少のみぎりの疑問はまだ胸につかえているんじゃないですか?
胸のつかえをとりましょう。少しいい気分になれますよ。
2004年5月10日
2004年5月 8日
さんくすでした
前の会社のマニアな人たちによる遅ればせながらの送別会ありがとうございました。
片方の主役欠席で、送別の品を頂く時の面白さ半減でしたが。
皆様の怨念心のこもった「超もやし」ありがたく頂戴いたしました。
喉の痞えも取れたので大変楽しいかったですよ。また呑みましょう。
今回はこの人の活躍が冴えましたね。
2004年5月 7日
駅前連荘
昨日今日、連荘で駅前に行く。
最早旨いのは当然としても、わしのような常連になると行けば必ず知った顔がいる。その人たちとの会話を楽しみに行っているようである。
ここの大将もここの旨いもの同様にかなり味わい深い人であるが、常連も似たような人々ばかり。知れば知るほど旨い人々である。
果たしてわしはそのように味わい深い人間になっていけるのだろうか?
と疑問を抱きつつ、またそのような人々に憧憬しつつ通ってしまうそんな場所。
近いうちに常連と大将とでモイセに行く予定。
2004年5月 4日
台湾茶 まだまだ修行中
師匠の家に訪問。
ただ出掛ける時に愛車のセフィーロのバッテリーがあがっていたので、ショックを受けつつ充電→久方ぶりの洗車をしてあげた。
もう15年オチになる車であるので大切にしてあげねば。
相変わらず師匠のお子様たちに弄ばれつつも、夜は近所に住んでいる方を招いてのお食事会。
奥様のウマ辛麻婆豆腐、ビーフンその他料理を堪能した後に、師匠に命令され烏龍茶を淹れる。
今回の師匠の評価は「60点」。
前よりは評価は上がっているが、師匠の使い込んだ茶器に助けられたのかな?
帰る間際に師匠から「奥さんがまだまだ修行が必要だなって言ってたよ」と耳打ちされる。
ほんと、気の抜けない家族である。