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2004年7月 6日

荘子、木鶏、徳

昨日から思い出していたのですが、そろそろ書いておかないと忘れそうなのでメモっときます。

紀省子という闘鶏飼いの名人が、王から一羽の闘鶏の訓練を仰せつかった。
十日も経ったころ、王が様子をたずねた。
「どうだ、もうそろそろ使えるのではないかな」すると紀省子はこう答えた。
「いやまだでございます。今はやみくもに殺気だって、しきりに敵を求めております」
それから十日経って王がたずねると、
「いや、まだでございます。他の鶏の鳴き声を聞いたり、気配を感じたりすると、たちまち闘志をみなぎらせます」
また十日経って王がたずねると、
「いや、まだでございます。他の鶏の姿をみると、にらみつけ、いきりたちます」
さらに十日たって王がたずねると、こんどはこう答えた。
「もうよろしゅうございましょう。そばで他の鶏がいくら鳴いても挑んでも、いっこう動ずる気配もなく、まるで木鶏のようにみえます。これこそ徳が充実した証拠です。 こうなればしめたもの、どんな鶏でもかないっこありません。姿を見ただけで逃げ出してしまうでしょう。 」

この場合、鶏にしろ師(この場合は紀省子)という名人がいたからこそ、「木鶏」と思わせるような徳を積むことができた。
わしら人間は、日々生きていく中で紀省子のように徳の積み方を教授してくれる人はいない。
まして人から教授されて、日々の生きていく中で意識して積んでいくものではない。
意識せずおこなうことが出来るようになって、はじめて真の徳を積んだ人に成れるのではないか。

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