[PR] WEBデザイナー

« 台湾茶 文山包種茶 「雲仙級」 | メイン | 2005冬季比賽茶展售會凍頂金萱茶「優良奨」 »

中国武将列伝 守屋洋著

August 31, 2007 Friday [ Books ] 


中国武将列伝 守屋洋著
中国武将列伝 守屋洋著


今回は中国武将列伝です。
先日の中国皇帝列伝―歴史を創った名君・暴君たちと一緒に購入した本です。




この中国武将列伝に書かれている武将の顔ぶれは以下の通りです。
わりとメジャーな人が多いかもしれませんね。


  • 項羽・四面楚歌

  • 張良・智略縦横

  • 韓信・国士無双

  • 李広・率先垂範

  • 馬援・大器晩成

  • 班超・西域経略

  • 関羽・一騎当千

  • 李靖・積極果断

  • 郭子儀・起死回生

  • 狄青・慎密寡言

でももって気になった人を抜粋。

項羽

項、字は「羽」、名は「籍」。
漢という国を興した劉邦と「楚漢の戦い」を繰り広げたその相手が楚軍のトップが項羽である。

秦の始皇帝死去後挙兵し、わずか3年で秦を打倒し「西楚の覇王」と号するまでに急成長を遂げた天才的将軍。
こと軍事的才能に関しては中国史の中でもトップクラスだと思う。孫子などの兵法書を熱心に研究したわけではないらしい。それでも戦には滅法強かった。先天的な要素を多分に持っていたと思われる。

そして項羽にまつわる話として有名なのが「四面楚歌」。
この言葉、故事を聞いたことがある人が多いと思う。その「四面楚歌」の状態とはこんな状態であったらしい。

楚漢の戦いの終盤。戦略的優位を確立させた劉邦が項羽を垓下に追い詰め包囲した。
その様子を「史記」から引用してみたい。

項王ノ軍、垓下ニ壁(ヘキ)ス。兵少ナク食尽ク。漢ノ軍及ビ諸侯ノ兵、コレヲ囲ムこと数重(スウチョウ)。夜、漢ノ軍ノ四面楚歌スルヲ聞キ、項羽スナワチ大イニ驚イテ曰く、 「漢皆スデニ楚を得タルカ。コレナンゾ楚人の多キヤ」 項王スナワチ夜起キテ帳中ニ飲ス。

自分と戦ってきた楚人まで今となっては私を包囲する側になってしまったんだなぁ…

「漢楚の戦い」では、序盤圧倒的優位に立っていた項羽も、結局は垓下で包囲され、その突破はしたものの、最後は単騎敵陣に踊りこみ数百合切り結んで最期には自らの首をかき切った…

こんな非業な最期になってしまった項羽には、政治戦略に欠ける、功績を立てた部下にきちんとした報酬を与えない、部下の意見を聞かない、などの敗因が多数あったようですね。特に腹心の軍師、范増、将軍の鍾離昧、などに去られてしまったのは痛恨事だと思う。

やっぱり天下って一人じゃとれないのよねって見本の人かもしれないですわ。



韓信

劉邦軍の大将軍。はじめは項羽に仕えるが重用されず、劉邦に仕える。
漢帝国成立後は、楚王の封じられる。謀反の嫌疑をかけられ推陰侯に格下げ、その五年後謀反の罪で誅殺された。

国士無双、背水の陣、なんて言葉聞いたことがある人が多いんじゃないでしょうか。
実は両方ともこの韓信が関係ある言葉なんですよ。

まず国士無双。
今は麻雀の役のひとつになっていますが、元々は劉邦の部下で丞相を勤めた蕭何(しょうか)が、韓信を劉邦に大将軍に抜擢すべきと強談判に及んだ時にいった言葉。「国中に並ぶ者がいない人物」ということですね。
蕭何としては、韓信の軍事的才能に関してそう評したようですね。

背水の陣。
劉邦に北方攻略を命ぜられ、との戦い用いた戦術。
「山を背にして、川を前にして戦え」というのが兵法の常道だったが、韓信は自らの軍勢を川を背に陣をしき戦い、見事兵力的には劣勢の中、勝利を収めた。

韓信としては「孫子」の九地編の

「コレヲ亡ニ投ジテ然ルニ後ニ存シ、コレヲ死地ニ陥レテ然ル後生ク。」
「己を死地に置いて、初めて生きることが出来る」

を応用したようですね。
これだけ自在に兵法を応用できるのは、やはり「孫子」をかなり研究していたようですね。

国士無双、背水の陣など、軍事的才能がありながらも最期には誅殺されてしまう…
こと政略に関しては軍略ほどの冴えはみられなっかたようですね。

他にも「股くぐり」、「狡兎死して良狗煮られる」、など色々と話にはことかかない韓信。

戦には滅法強くても、こと政治駆け引きには弱い。そんな韓信がわしは結構好きである。




関羽

三国志演義での桃園の誓いも知っている人は多いんじゃないかな。劉備玄徳張飛翼徳と義兄弟の契りを結んだ、というアレですね。
史書の三国志では、義兄弟とまでは書かれていないが、「恩、兄弟ノゴトシ」という記述がある。それくらい劉備に対し忠誠を尽くした武将。

後世、関羽の忠義の尽くしっぷりを臣下に見習わせようと、唐時代辺りから神格化がされ始めて、宋時代には武廟の主神に昇格するとともに「公」の爵位を与えられついでに王の位まで贈られている。そして清時代には、王から帝になり、「忠義神武霊祐仁勇威顕?国保民精誠綏靖翊賛宣徳」関聖大帝、と長ったらしくもありがたい重々しい号が贈られた。こうしていわゆる「関帝廟」として、村落ごとに作られ民間信仰の対称になっていったようです。

まぁ関羽に関してはこの中の武将では有名なほうだと思うのでこれ以上はいいかな。
むしろ関羽をとりあげたのは、「忠義神武霊祐仁勇威顕?国保民精誠綏靖翊賛宣徳」関聖大帝、っていうのを書きたかっただけなんだけどね(笑)



他にも、馬援(字は文淵)、李靖(字は薬師)などは興味のそそる武将ですね。

馬援は、三国志演技にもこっそりと登場しているんです。
諸葛孔明が南征に赴いた際、兵士が毒にやられてしまい窮地に陥った時に、古ぼけた廟の中に漢の伏波将軍馬援の像を見つけそれに額ずいて祈願をすると、「伏波将軍の使いで参りました」と一人の老人があらわれて解毒法を伝授して、危機を脱し南蛮平定した…

馬援は孔明よりも早い時代に、後漢時代に南征しているんですよね。まぁ孔明とはかなり場所は違うんですが、少数精鋭で南征し首尾よく平定している。将軍としてこれまた類稀なる才能をもった人物でした。

李靖は唐王朝成立の立役者の一人。
外にでては将軍として「常勝」とうたわれ、内に入っては宰相として国政支えたまさに文武両道の人物。
戦は積極果断、政治は人柄を反映してか温厚。
人物としてはこの武将列伝の中で最強と思っています。才能、人柄とのバランスはまさに超一流。

そしてはずせないのが「李衛公問対」。これは「武経七書」という「孫子」「呉子」ともならぶ兵法書のひとつとされているものです。

唐の二代目太宗(李世民)と李靖の兵法問答書です。李靖はいうに及ばず、実は唐の太宗も用兵に関しては天才的なものを持っている名君。ようは唐時代初期の用兵のエース二人が用兵、政治について薀蓄を傾けている名著。一度はじっくり読んでみたい書ですね。



まだまだ魅力的な人物が多いこの本。
なんだかんだ書いておりますが、中国の武将についてかじる入門書としてはいいと思いますよ。

才能だけでなく、人物の人柄などもいろいろな逸話を交えて書いてあるので面白いと思いますです、はい。

投稿者 oyakata : 2007年08月31日 17:17

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://hiruandon.oops.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/420