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中国皇帝列伝―歴史を創った名君・暴君たち 守屋洋著
August 18, 2007 Saturday [ Books ]
このカテゴリに書くの久しぶりだな(笑)
本自体を読んでないわけではないんだけど…書くのが億劫?(笑)
そんなわけで今回は、中国皇帝列伝 守屋洋著。
さてこの本、元々は2冊なんです。中国皇帝列伝 (創業篇) と中国皇帝列伝 (守成篇)。それを抜粋して再編集したのがこの中国皇帝列伝なんですよね。うん、確かそのはず(笑)
中国の歴史の中で名君、暴君、など、際立った存在の皇帝12人について書かれております。
ちなみのその12人とは、
- 秦の始皇帝(贏政)
- 漢の高祖(劉邦)
- 漢の武帝(劉徹)
- 後漢の光武帝(劉秀)
- 魏の武帝(曹操)
- 隋の煬帝(楊広)
- 唐の太宗(李世民)
- 唐の則天武后(武照)
- 唐の玄宗(李隆基)
- 宋の太祖(趙匡胤)
- 明の太祖(朱元璋)
- 清の康煕帝(愛新覚羅玄燁)
以上、そうそうたる面々。
戦乱の中から新しく国を興した創業の名君、国を反映させ守り抜いた守成の名君、皇帝という最強の特権を悪い意味で利用して国の屋台骨をおかしくしてしまった暴君、それぞれの皇帝についての人物像を浮き彫りにして、守屋さん流の帝王学に繋げる解説をしております。
帝王学っていうとナニがアレで小難しいと偉ぶってるとかそう思うかもしれませんが、そんなにかしこまったものではなく、それぞれの皇帝の人間くささをを感じることが出来て、歴史の教書などよりは興味をそそる内容になっていると思う。
例えば、漢の高祖、劉邦。
若いころ秦の始皇帝の行列を見た時に、劉邦は、
「男と生まれてきたなら、こうでなくてはなあ」
といいながら大きなため息をついたらしい。これって意外と普通に抱く一般的な感慨だと思うんだよね。
また皇帝になってからのこと。文武両道を求められるのは皇帝だとて同じ。その勉強のために部下の陸賈(りくか)から基本的教養の書である「詩経」「書経」の講義を受けてる時に、
「わしは馬上で天下を取ったのだ、詩、書などは関係ないわい」
と文句をいい、陸賈から
「馬上で天下は取れても、馬上で天下を治めることは出来ません。文武の併用こそ天下を長く治める秘訣です」
とたしなめられてぎゃふんとしたらしい。一番偉くなったのにさらに自分の嫌いな勉強までしなきゃいけない上に、文句を言ったらさらに部下からたしなめられてしまう…想像すると笑える姿だと思いませんか?
また以前書いた宋の太祖 趙匡胤も好き(笑)。その時に後漢の劉秀の人間くさい逸話って書きましたが、それは以下の話。
劉秀が皇帝になってからのこと。
馬援(後に劉秀に仕える名将)が当時仕えていた主の命を受けて劉秀の様子を探りにきた時、劉秀は食べているものを吐き出して、急いで共も連れず、頭巾もつけず笑いながら声をかけた。
劉秀
「貴公のことは聞き及んでいるぞ、なるほどそれだけの器量はある」
馬援
「先日幼馴染のの人物を尋ねましたが、仰々しい応対ぶりでした。ところが陛下は、刺客とも腹黒い人間とも知れぬ初対面のこのわたくしにかくも気軽にお会いくださいました。なぜでしょうか」
劉秀
「まさか貴公は刺客ではあるまい。まあ説客くらいであろうか」
といってまた笑ったそうです。
かざらない気さくさ、信を相手の腹中において、もったいぶらない態度なんかにそそられますね。
皇帝って言えば偉そうにふんぞり返ってる人とか、天才しかなれないとか、いや、やっぱり天賦の才は必要だけど、それだけじゃ天下を統一することは出来ないんですよ。配下に優秀な人材を得るためには、自らも精進しなければならないし努力も必要なんですよ。
明の時代末期の思想家、黄宗義が書した名著「明夷待訪録」のなかで
「名君とは自己犠牲以外のなにものでもなく、したがってこれくらい割の悪い職業ではない」
と書いている。
皇帝って大変なんですよ、庶民が思ったより(笑)
その苦労?人物像を少しでもわかるようになると、帝王学とまではいかなくても生きていくうえで何がしかの役に立つと思われますよ。
ちなみにこの本の元となった本をAmazonで見つけたのでよかったらどんぞ。
中国皇帝列伝 (創業篇)
中国皇帝列伝 (守成篇)
投稿者 oyakata : 2007年08月18日 14:40
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