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〔私信〕 ありがとう

December 15, 2005 Thursday [ Words] 

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大事に使わせていただきます。
これで旨い台湾茶を呑みます。



ありがとう (^人^)感謝♪

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サンデープロジェクト、行政改革、結局人頼み

August 07, 2005 Sunday [ Words] 

今、サンデープロジェクトの特集コーナー、「自治体再生Ⅴ 1年365日働く公務員」を見ている。

福島県矢祭町の町役場の行政改革の話である。
その中心人物は根本良一氏。20年町長をまさに自らの身を削りながら務めている姿には脱帽と尊敬の念を禁じえない。

責任者が自ら率先して規範を示し、それに刺激され動き出す職員達の姿は素直に感心した。住民サービスを向上させながらも、コストカットを行い、さらに収益向上も成しえている。どこぞの国会議員にでも見せたい姿ですな。

ただ、一点気になったのは根本町長が、一度辞意を表明した時に町長室に町民が乗り込んで、さらに町長の奥様まで引っ張り出してきて辞意の撤回を求めるシーンがあった。

根本町長は20年職務に邁進した結果、家族と過ごす時間が無かったため今からでも家族とゆっくり過ごしたいとの理由での辞意の表明だった。

それを聞いた町民が、町長の自宅まで赴き奥様を担ぎ出して町長室で大勢で説得をする。その姿には
「奥さんさえ犠牲になれば町長の手腕によって町はもっと良くなるんだよ」
「町のために自分の気持ちを抑えてくれ」
「自分達の町を良くするために犠牲になってくれ」
とそんな風に見えてしまった。

英雄待望論→誰かがやってくれる→その結果を自分達は享受するだけでいい→結果を享受できれば他の犠牲はかまわない

そんな感じに見えてしまっておぞましく感じてしまった。


わしがそう感じるのは、暑くて脳みそが茹だっているせいなのか、それとも自分がそう思っているからこそなのか、ネガティブキャンペーン中なのか…

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華の国では「専利」、「発明創造」

June 14, 2005 Tuesday [ Words] 

中国では日本で言う「特許」のことを「専利(せんり)」というそうです。

日本特許法上の「特許」は発明に対応してるそうですが、 中国特許法上の「専利」は、発明、実用新案、意匠の3種類を含んでいるそうです。

また、中国特許法において、発明、実用新案および意匠を纏めて「発明創造」と呼びます。

中国特許庁というところはなく、「中国国家知識産権局」 というそうですよ。

仕事の関係でちょっと知ったわけですが……

華の国でも特許って法が存在したんだなぁって思った次第

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字、書、フォント、こだわりの極致へ

May 10, 2005 Tuesday [ Diary, Words] 

最近、ちょっと仕事の関係もあり、駅前食堂のマスターにお願いして駅前食堂のメニューを書いている人を紹介していただいた。

筆によるメニューを見るたびに「どんな人が書いてるのかな?」「どんな人なんだろうな?」とずっと気になっていたので、ようやく知り合えるきっかけが出来たのはとても嬉しかった。

先日最初に会ったときは、こちらの予想を見事にはずしてくれて、外見は小さいんだけどそれでいて中身はパワフルなお姉さんでした。イメージとしては綾戸智絵さんがわかりやすいかも。
しかも初対面なのに仕事の話の後、モイセ→駅前食堂というグレイトなコンボ技を炸裂させてしまいました。


それにしてもこのお姉さんの「書」に対するこだわり、思い、情熱には頭が下がりました。
筆運び、墨、半紙、どれについても熱く語っていて、そのどれもにいちいち頷けるものがある。
「この字の見せ場は…」、「この線の筆の運びは…」、「もっといい紙にもっと大きく書いてみよう…」などと話せば話すほど、話は広がり、深くなっていく…

わし自身もこのお姉さんに比べたら些少ではありますがこだわりはあるので、その目指すもの、意識にあるもの、こだわりはわかるつもりですが、もう脱帽しきりです。脱毛じゃないですからね!念のため。

また新しい人に巡り会えたこととその出会いを作ってくれた人の繋がりへの感謝を記したかったので、相変わらず文章としての体裁はなってないですが、とりあえず書いておく。


また、自分も筆を取ってみたくなってきた…

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萎凋→発酵→揉捻

March 18, 2005 Friday [ Words] 

肝心なときに、その人のためにと何か言おうとするが言葉が見つけられなかった。

いつも駄文を垂れ流しているだけではあかんのだと改めて思った。

もっと言葉を自分の中で美味しい烏龍茶を作るのと同じように、手間かけてじっくりと萎凋→発酵→揉捻させなければいけませんね。


まぁ言葉以上に自分自身を萎凋、発酵、揉捻しなけりゃいけませんね。

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待小人、不難於厳、而難於不悪、待君子、不難於恭、而難於有礼

September 01, 2004 Wednesday [ Words] 

菜根譚(さいこんたん)から抜粋。

「くだらぬ人物に対して厳しく接するのはたやすいが、愛情を失わずに接するのは難しい。すぐれた人物に対しては、うやうやしく接するのはやさしいが、卑屈にならずに礼節を守るのは難しい。」

そうなんですよね、それができればよいのに。
とはいいつつも自分がくだらない人間ではないとは決して言わんが。

山本正之「究極超人あ~るBOX 」-飯田線のバラード-を聞きながら

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知彼知己者、百戦不殆 「孫子~謀攻篇~」

August 30, 2004 Monday [ Words] 

彼を知り己れを知れば、百選殆(あやう)からず

孫子の有名な一節。
何をするにも、ここから、まずは己を知ることから始めないといけないと思うのですよ。

己が、何ができるか、できないのか。

わし自身にとってもこころに響く言葉である。


山本正之ALBUM「マサユキ天国」-日本ジンダマンの歌-を聞きながら

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つくるということ

August 24, 2004 Tuesday [ Words] 

ここ最近あらためて思ったんですが、つくことは楽しいことだな、と。
このサイトの駄文にしろ、その他、大した事は出来ないが、いろいろと手伝いをさせてもらう機会がある。
まぁそんな機会がいただける以上、いいものを作っていきたいものですな。
また、そんな機会をもらえる繋がりにも感謝。

山本正之ALBUM「COLORS」-ブルックリン物語-を聞きながら

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うかつなじぶん

August 16, 2004 Monday [ Words] 

休暇の間はネットというものに全く触れませんでした。
火、水、風、土と戯れておりました。戯れるという表現は正しくないくらいの忙しさではありましたが。
あらためて思うのは、ネットってやつは無ければ無いで生活していけるものだということ。
ただ生活していくには、今まで以上に人との繋がりを密接にしていかなければ成り立たないということ。
どちらも何かに繋がる=linkしていることには変わらないわけで、それとどう自身が関わっていくかが問題なわけで。

そんなことに今更気づくじぶんのうかつさに乾杯。

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それが現実だ

August 05, 2004 Thursday [ Words] 

よく耳にする言葉だと思う。
そしてこの言葉が出ると、大抵の話は終わってしまう。
この言葉には、ある種の諦めの意味が含まれている。
変えることができないもの、変えようとも思わないもの、変えても意味がないもの、と捉えているようです。

変えることができないのか?
変えようと思わないのか?
変えても意味がないのか?


本当にそうなのか問い詰めたい。

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常識

July 23, 2004 Friday [ Words] 

三省堂提供「大辞林 第二版」より
じょうしき じやう― 0 【常識】〔common sense〕
(1)ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力
(2)「共通感覚」に同じ

とありますが、その常識とやらは絶対的な価値観を有するものなのでしょうか?
「ある社会」において「人々に認知されいる知識や判断力、共通感覚」、それはあくまでもその「ある社会」における常識です。

つまり「ある社会」以外の人にとっては、なんら価値観を有するものではないのです。時代、場所、人々が違えば、当然の如く変わってしまうものです。そんな脆いものに囚われて生きるのは虚しいと思いませんか?

「常識の否定なくして進歩は無い」という言葉がありますが、数々の常識を打ち破ることにより人類は進歩を続けてきたのです。
今、あなたの眼で見て「あれ?」と思うことをしている人がいたとするならば、その人はあなたの常識から外れているのではなく、進歩の先駆者かもしれないのです。

だから、

わしが今朝左右の靴を履き違えて出勤してしまい、途中の駅で気づきUターンして靴を履きなおし再度出勤したのは、「常識の否定なくして進歩は無い」を実践したためであり、「靴は左右一緒の形のもの」という常識を覆し人類の進歩を進める一助になればいいと試みただけのです。

…遅刻しないでよかった。

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子曰、人之過也、各於其党、観過斯知仁矣(論語)

July 16, 2004 Friday [ Words] 

わし自身を含みで、今週は論語のこの言葉を、よくよくと思い知らされた。

「人は、いかにもその人らしい失敗をやる。失敗を観察していれば、その人の人間性がわかる」

と、訳していいとは思いますが、ほんと、

仰るとおりです。

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政治、意思表示、白紙?

July 07, 2004 Wednesday [ Words] 

今読んでいる本からの抜粋です。

「…政治に無関心な市民は静かさを愛する者とは思われず、市民としての意味をもたない人間とされるのである。…」

ペリクレスの演説の一節。
紀元前の古代アテネの指導者。一年ごとに市民集会によって選出される国家政戦略担当官(ストラテゴ)を30年近くを務めた。

ペリクレスの一節を読んで驚きましたよ、紀元前の時代から、政治に無関心な人間を当時の民主政治における「市民」とは認めていなかったんですな。
そんなわけで、それから遥かに時を隔てたわしらも、7/11の選挙ではしっかりとした意思表示をしなければいけないなぁ、と思いました。
別にどっかの集団のように、どこそこに投票しろとかそんな大それた誘導尋問的な啓蒙、意味はありませんよ。
結果はどうあれ、自分の意思表示は必要だと思いますよ。たとえそれが、


白紙投票でもね。


わしが白紙投票するかはわかりませんが、白紙投票でも無効票としっかりカウントされ、投票数に対する無効票の割合なども計算されているようですわ。

で、選挙に行ったあとは、この方の歌を堪能してください。

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荘子、木鶏、徳

July 06, 2004 Tuesday [ Books, Words] 

昨日から思い出していたのですが、そろそろ書いておかないと忘れそうなのでメモっときます。

紀省子という闘鶏飼いの名人が、王から一羽の闘鶏の訓練を仰せつかった。
十日も経ったころ、王が様子をたずねた。
「どうだ、もうそろそろ使えるのではないかな」すると紀省子はこう答えた。
「いやまだでございます。今はやみくもに殺気だって、しきりに敵を求めております」
それから十日経って王がたずねると、
「いや、まだでございます。他の鶏の鳴き声を聞いたり、気配を感じたりすると、たちまち闘志をみなぎらせます」
また十日経って王がたずねると、
「いや、まだでございます。他の鶏の姿をみると、にらみつけ、いきりたちます」
さらに十日たって王がたずねると、こんどはこう答えた。
「もうよろしゅうございましょう。そばで他の鶏がいくら鳴いても挑んでも、いっこう動ずる気配もなく、まるで木鶏のようにみえます。これこそ徳が充実した証拠です。 こうなればしめたもの、どんな鶏でもかないっこありません。姿を見ただけで逃げ出してしまうでしょう。 」

この場合、鶏にしろ師(この場合は紀省子)という名人がいたからこそ、「木鶏」と思わせるような徳を積むことができた。
わしら人間は、日々生きていく中で紀省子のように徳の積み方を教授してくれる人はいない。
まして人から教授されて、日々の生きていく中で意識して積んでいくものではない。
意識せずおこなうことが出来るようになって、はじめて真の徳を積んだ人に成れるのではないか。

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信用と信頼

July 02, 2004 Friday [ Words] 

普段はあまり使わない言葉だと思う。
正直、口に出して言ってみるのは、こっ恥ずかしい言葉だとも思う。
世間様では似たような意味を持つ言葉として使われているようですが、わしの中では別の意味を持つ言葉であり、「信用」という言葉好きではない。

信用とは「信じて用いる」ことであり、その言葉を口にした人にとっては、相手はある程度の評価はしているものの、こころの中では自分以下の存在であるという認識を持っているように思える。

信頼とは「信じて頼る」ことで、その言葉を口にした人と相手とはお互いを認めつつ、対等の関係であることではじめて使える言葉であると思う。

そんなわけで、わしは信用するされる関係よりは、信頼するされる関係を作っていきたいと思っているわけですよ。


仕事中にこんな瑣末なことを考えて、わしはどうしたいんだろう?

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塩、サラリーマン

June 30, 2004 Wednesday [ Words] 

ちょっとメモ。

サラリーマンの語源は、紀元前のローマ人が使用していたラテン語、
サル[sal](塩)で支払われる人、
になるそうな。

当時のローマではあまり貨幣が普及しておらず、支払いはオスティア産の塩で代える場合が多かったそうですよ。
あの偉大なローマ帝国にも、そんな時代があったとはそれこそ吃驚ですな。

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表現、気づくもの、こころ

June 22, 2004 Tuesday [ Words] 

人は自分が嫌いなものを表現するときが、一番表現が多彩である。

嫌いなものほど心をとらえてやまないのではないか?
嫌いなものにこそ心が呪縛されているのではないか?

人は本当に好きなものには気がつかないときがあるのに、嫌いなものに関しては常に知っている。

人は嫌いなものに支配されているのではないか?

わしはメロンが嫌いだ。どのくらい嫌いかを表現するなら、
「メロンと名のつくもので存在していいものはメロンパンのみ」
である。

わしのこの表現もどうかと思うが、嫌いな生クリームを、

「あのモーっとした感じがやなんですよ」

と言われたのは生まれて初めてであった。


嫌いなものがあるということは、表現の宝箱を得たのと同じなのだろうか?

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